コラム Vol.1 新緑からの味わい2005/05/21 更新

 今、新緑がさわやかに眩しい。そして風にそよぐ若葉は生命の育ちと躍動感の中にこころの安らぎをも享受させてくれる。

 ふと気づいたことだが、狭い範囲内の近くの公園、暗渠上の緑地帯と、ご近所の各家庭の周辺を歩いてみても、若竹はごく限られたところにしか見つけ出すことができなかった。竹そのものは他の若葉とくらべてみると、躍動感が今ひとつ乏しい感じであった。最近知ったことではあるが、竹の衣替えは秋に素早くやってしまうらしい。小さい頃田舎では竹との繋がりは多かったように想う。たとえば筍、竹とんぼ、竹馬、ささのはさらさら七夕、凧、笊、籠、団扇、筆、竹串、竹笛、壁塗りの前の組み合わせ、竹囲い、箒の柄、門松焼きの柱など思い浮かべるだけでも、幼少の心象風景の中に次々とその時々の物語がよみがえってくる。

 帰って若葉を彩る漢字類を辞書で調べてみた。きへんの漢字数は、札・本・末・未・材・村・板・果・柔・機・櫂・栞・築・楽~など461文字。くさかんむりの文字は芋・芝・芹・芳・英・芽・苦・茂・荘・華・葉・蓄~など401.たけかんむりでは、竺・笑・第・筋・笠・笹・策・筑・節・等・算・範・篇・簿・籍~など159文字。日常的には竹の付く文字は漢字としては少ないものの、例で挙げてみた中にあるように、かなり多岐に亘って使われていることを改めて知った。

 ちなみに木は枝と木から象形で木と表わされている。「若」は巫女が両手をあげて舞い、神託を受けようとしてエクスタシーの状態にあることを示す。艸はふりかざしている両手の形。「笑」は巫女が手をあげ、首を傾けて舞う形。艸と竹は両手のかざしの形で、神意をやわらげるために、「笑いえらぐ」動作をすることを言う、とある。「楽」は柄のある手鈴の形、古代のシャーマンは鈴を鳴らせて神をよび、神を楽しませ、また病を療したとある。いずれも象形。「苦」は声符は古、「説文」*に「大苦なり、苓なり」とありにがいをいう。甚だにがいものであるから「はなはだ」という副詞に用いる。苦労は古くは「劬労」といい、ともに力(耒の象形字)に従い、農耕に従う意であった。とあり若、笑い、楽も共々植物に起源をもっていることの由来が解った。そしてたけかんむりの文字には周りを見つめなおしてみれば、例にあげただけでも私共の生活と結び合っている言葉として構成されている。そんな文化圏に生きていることのありがたさを改めて実感することになった。

 竹林は元来風水害、地震、火に強いと昔長老たちに聞いたことを思い出した。合わせて却って孟宗の竹林に身を置いた時に森林浴とはまた違った、清涼にて身の内からわきあがるようなしっとりとした気韻の響きみたいな感覚を味わったことを想いだした。都市部をはじめ、地方においても植生態系が人の都合で自然とはかけ離れた系に変えられてしまっている。もう一つの極では、今年度の長者番付であるサラリーマンが約100億円の所得があったと報じられているが、人も自然の生態系の中で暮せる世の中をと、おもいを新たにしながら、苦笑せざるを得ない。
≪豊島の案山子≫
参考資料「字通」白川静 平凡社。「新字源」角川書店。
*説文・・・漢代の辞書、許慎の著した物を清代に段玉裁が注釈を加えたもの。